2013年12月3日火曜日

どこから始めるか・・・

アリスさんを日本に、と考えてから
私が最初にしたことは
「後援してくれる人・団体を探すこと」
でした。

こういうことを 個人でやるときに
私のためじゃないんだよ、こんな人も賛成してくれてるよ
と見せるのは ある意味大きい。
私個人は「どこの何者?」なものですから
虎の威を借りなければ 話も聞いて貰えないのです。


「伝承」のウェブサイト
ディスカバー・ニッケイのサイト
こんなところから
協力して貰えそうなところを探します。
北米報知という新聞もウェブ上で閲覧可能
こういうところから
協力して貰えそうなひとをリストアップし
ひとりひとり 連絡します。

日本では知人にアドバイスを頂いたり
自分のフェイスブックで告知してみたり
興味のありそうな人を 
ひとりでも良いから探し出すこと

・・・正直 終わりは見えないし
当然ですが反応はとても悪いし
これは ボランティアで何かをするときに
いつもぶち当たる壁です。

人ははっきり分からないことに対してはnoという

メールや情報が氾濫する中
読んで頂ける確立すら わかりません。

正直 これをやるときが一番辛いです。
ある意味飛び込み営業なわけです。
NOの意味が 企画に興味がないとか
よく分からないからとりあえずNO、だということを
理解して動いているのだけれど
とってもとっても消耗してしまいます。

自分が否定されている気になるから
そんなことじゃないんだけれど。


だから 一番最初に
幼なじみの先輩が「大事な事だよね」と賛同してくださったときは
本当に涙が出ました。

そのあとにお二人の大学教授から
「頑張って下さい、とても素晴らしいことと思います」と
背中を押して頂けたときは
それまで返事すら来なかったメールや
興味すら抱いて頂けず 失っていったエネルギーが
いきなり戻ってきました。

頑張れるのは
アリスさんの希望をなんとかしたいのと同時に
こうやって 短いイントロのメールに
理解を示して頂けるだけではなく
心からのひとことを頂けるから

この感動とか感謝は
ボランティアで得られる最高のもののひとつだと思うんです。


スタート地点では
どこに向かうかすら分からなかったりします
それが少しずつ見えるようになったのは
それなりに自分も「わかって」来たのかなと
ちょっとだけ自分を褒めています。







2013年11月26日火曜日

私について

アリスさんとの出会いや
現在やっていることもそうですが
どうして私がそれをやっているかということを
まず記したいとおもいます。

私は連れ合いの仕事でアメリカに暮らすようになり
10年が経ちます。
その間 母親として ひとりの日本人として
自らのアイデンティティーや愛国心といったもの
知らず自らのうちに育ててしまった
「日本人としての深い罪悪感」と
戦いつづけて来ました。

その中で私の中に あることが見えてきました。

(以下は私のインプレッションであって
全ての人がそう、ではないですが)

日本人と日系アメリカ人との間の大きな溝
それは 遠慮というものも悪い方に加担して
悪循環を繰り返している

1度 知り合って 話すチャンスがふえれば
お互い誤解だと 勝手な思いこみだと分かるけれど
個人同士なら韓国人だって中国人だって仲良くなれる
でも国同志では 酷いことを言う人の前に黙ってしまう
そんな感じに見えました。

2011年3月11日
地震と津波は 私の故郷と実家のある地域を襲い
他の多くの方同様 私の生き方を変えました。

一個人として社会のなかでひっそり生きる
迷惑をかけずに生きるのは もちろん選択肢です
でも日本を助けたかった 
でも 遠いこの地へ子供をおいてボランティアに行くのも違うと思う
じゃあ 自分に出来ることは何か

世界を変えるために良くするために
やることは本当に沢山あります。
ひとりが全部をする必要はなく
それぞれの思うところで つまりいろんな方法で
みんなで世界を変えていくもの
だから 誰が間違ってるとか 
手伝ってくれないからあの人は酷いとか
そんなことではないと思います

子供をきちんと教え育てることは勿論大事なこと
でもその方法もいろいろある
私は子供を授かったときには
自分が一生懸命働いて世の中に関わる姿を
背中で見せる母でいようと思っていたし
だから米国で専業主婦になったときに
良い悪いではなくて
「どうやっていけばいいか」
「自分はどうあるべきか」を見失ったことがあります

沢山の選択肢の中から
またもがいて何者かになろうとした時期から
今の自分を認めて 
そこから出来ることをやろうと
他人のために未来を担う子供のために
出来ることをやろうと決めました。

たまたま、条件がそう出来上がっていたのです。

台所にある残り野菜やお肉で
出来るものを作ろう
そう考えてキッチンに立っているのと
全く変わらないのです。

人がやらないなら じぶんでやろう

それがやがて 私が1度目を背けようとした
誤解・無理解・見えない差別の一部を崩して
新しい可能性を開いていくのだったら
その可能性がいつか
愛する日本と日本人の可能性を引き出すのなら

そんな思いでいろんな事をやっています。
飽きるわけではなく
全体に「時期が来ていない」と判断したときは
1度 土の中に戻しておくんです
結構 あるときに一斉に
芽を出したりするので
油断がなりませんが。

アリスさんのプロジェクトは
種を蒔いたつもりがなかったのですが
実は既に自分で水をやっていたのでした。



 






新しい私のチャレンジ

2013年10月4日
それはアリスさんが娘のクラスに講義に来てくださって
そのお手伝いで久し振りに彼女にお会いした日でした。

「実はね、この夏体調を崩してね。
それはもう私にとってそれは、大きな警鐘だったの。
もっと伝えなきゃ、
もっと未来を作る子供達に
人間として大事な事は何なのかということ
そして私達家族が受けてきた苦しみを
2度と繰り返さないためにも
出来る限りの時間を使って行かなきゃって
心から思ったのよ」

「毎日 私達(戦時中の差別体験者)は
どんどん死んでいくのよ。
もう時間が無い。
私ももう 時間が無いと思い知ったの」

「本当は 日本人として
日本の子供達に伝えたかったの
それができたらいいな そう思って。」


アリス・節子・ヒライさんは
第二次世界大戦中 日系人強制収容所を経験し
それを平和と人道主義のために語り伝える
プロのスピーカーです。

6年生の授業の始まる数分前
多分 彼女がこれを話してくれた時間は
1分もなかったでしょう

でも思いました、強く思いました。

彼女を日本に連れて行かなきゃ。
日本の子供達に
これから世界へ羽ばたき世界を助ける子供達に
人間として大事な事はなにか
日本人として生きるとはなにか
世界人として失っていけないものは何か
それを考えるチャンスをあげなければ。

彼女の講義中
アリスさん特有のジョーク連発に
大笑いしながら引き込まれていく子供達を見ながら
私の中で 新しいチャレンジが決定しました。